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平成28年 (2016年) 11月 16日

教育ちょっといい話 第170回

山口市立平川中学校 校長 石丸 義臣  

「行間を埋める指導」

私が勤務する学校には、校舎内のあちらこちらに日替わりで花が生けてあります。この花には、ある先生の、生徒たちへの思いがいっぱい詰まっています。

先生は、随分前から校内の生け花を続けておられ、朝市に出かけては、自費で購入しているとのことでした。今では、すっかり朝市の顔で、花屋さんも、この花が生徒たちを落ち着かせ、美しいものに感動する心を育てることに一役も二役もかっていることをご存じのようで、少し勉強していただけるとか。

最近は、この生け花に、やんちゃな男子生徒数名が、お手伝いで参加しています。いつもは先生方の言うことを聞かない彼らが、先生が花を生け始めると、自然に近くに寄ってきて、花を切ったり運んだり片付けをしたりと、一生懸命働くのです。不思議な光景です。おそらく彼らは、花の価値と花を生けるという先生の行為の意味や思いを、なんとなく分かっているのだと思います。

先生がこの日々の営みを始められてから、所属学年は不思議と荒れなかったそうです。私は、この行為を、<行間を埋める指導>だと思います。

生徒の成長や変容は、何がきっかけになるか分かりません。多くの場合教師は、授業や個別の生徒指導など、直接的に生徒に働きかけることで効果をあげようとしますが、私の経験からは、効果があった取組の多くが行間を埋める指導に近いものだったような気がしてなりません。

私も11クラスの担任をしましたが、教室に絵本を置き、読み聞かせをしたり、詩の朗読をしたり、BGMを使って黙想したりと、効果の有無は分からないまま、いろいろなことをやってきました。心の中が嵐の生徒もいましたが、クラス全体は、明るく、柔らかい雰囲気に包まれていたように思います。

花を生けるのも、絵本を置くのも、即効性があるとは思えませんが、いつか何かの時に、偶然のように生徒の心に変容をもたらすかもしれません。それは教育的指導というよりも、<祈り>に近いもののような気がします。

<祈り>は、いつか、必ず、誰かの閉ざされた心を開き、未来の可能性を照らすでしょう。だから、私たちは、祈るように子どもたちに関わり続けるしかないのです。

 

 

(平成28年9月投稿)

 

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