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平成22年 (2010年) 4月 13日

教育ちょっといい話 第70回

周南市立大津島小・中学校 校長 内河 賢

 過去から未来へ

 

私が勤務する学校は、徳山港から南西約10㎞の沖合に浮かぶ大津島にあります。この春、初めてこの地を踏んだ時には、島中の桜が満開で、海の碧さなど見事な自然の景観が広がり、海辺をさわやかな風が吹きぬけ、時がゆっくりと流れているように感じました。

現在、過疎化や少子化の影響で、子どもの人数も少なくなり(小学生7名、中学生7名)、その半数も島外から通っています。同じ校舎内に小学校と中学校が併設され、学校行事はもちろん日頃の授業においても小中の連携が図られ、というより小中一体の教育が実践されている学校です。昼休みには、児童と生徒それに教員も加わり、“缶けり”が始まります。昔にはよく見られた光景ですが、異年齢の子どもたちが、大変仲良く遊んでいます。

こんなのどかな学校ですが、ここは60数年前、人間魚雷『回天』の発射訓練基地があったところで、校地内には今も危険物貯蔵庫、変電所、点火試験場跡などが点在し、訓練にも使った急な「地獄の石段」も残されています。学校から少し丘にあがったところには『回天記念館』があり、当時の貴重な遺品や資料が多数展示されています。私自身、当然戦争体験はありませんし、軍隊経験のある父親や祖父からも戦争について語られることはほとんどありませんでした。岩国にいた母親からは「広島に原爆が落とされた時、すぐに錦帯橋の下に避難して、そこからキノコ雲を見たんよ。」と小学生の頃聞かされました。年月の経過とともに、戦争の記憶は人々の心からだんだんと忘れ去られていっています。しかし、「今」から「未来」へと生きる子どもたちには「過去」からのつながりも決して忘れてはならない大切なものと思います。

ここ大津島は、私たち大人にも命の尊さや戦争の悲惨さ、平和の大切さを今一度深く考えさせてくれる場所でもあります。蒸し暑い職員室の中では、今、数人の教員が、この夏、かつて『回天』が訓練で通ったであろうコースをシーカヤックで巡ろうと計画を練りながら話が盛り上がっています。若い教員たちは、この海の上でどんなことを思い、どんなことを感じるのでしょうか。(平成21年7月投稿)

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