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平成21年 (2009年) 3月 25日

教育ちょっといい話 第10回

文部科学省研修生 竹村 和之

学校が変わる瞬間・・・・

 

クラスでステージ発表をするというところまでは、担任の意を汲んだ文化祭実行委員の奮闘で何とか漕ぎ着けたものの、出し物を何にするかという具体的な話になると、みんな他人事。誰かがやるだろう、自分だけは勘弁してくれと、無関心を装っています。

 

教室の後ろで事の成り行きを見つめる私に向けられた文化祭実行委員の眼は明らかに助けを求めています。このまま生徒に任せるか、ここまでが限界か、方向付けの一言を出すタイミングというのは難しいものです。こういう時は、思いっきり過激な案を出すというのが私の作戦。「それだけは勘弁」と自分達で考え始めるはずです。

 

「ステージ発表するなら、やってみたいことがあるんよね。ちょうど、セーラームーンとか、テレビでやっちょるし、女子が作った衣装を男子が着て、テーマソングに載せてコスプレファッションショーっていうのはどう?」直ぐさま、反応したのはN。「そんな恥ずかしいこと誰がやるんか〜。そんなことしたら、文化祭、みんな休むっちゃ」。その他、反対意見多数。(ちょっと過激すぎたか。このままでは、ステージ発表、いやクラス参加自体がボツになるかも・・・・)

 

こんな時、以前なら真っ先に反対しそうなMが、黙って、にこにここっちを見ています。「おいM。お前はどうする?」「先生!面白そうじゃん。それやろう!」(えっ、本当にやっちゃうの?)「でも、みんな反対しちょるぞ。」(軌道修正!、軌道修正!)「最後の文化祭じゃろ!やろういね。」彼は、野球部の元エース。さすが、最後の夏、最後の一瞬を経験した男は言うことが違います。「やっぱ俺はバニーガールじゃね!先生は何やるん!」(えっ!俺もやるの?)「先生は女性用の水着じゃ。」「まじかよ!俺が女性用の水着着て、ビキニパンツの副担任の体育のK先生にオイル塗ってもらうってか〜!」(口が滑ってしまった。もうこうなったら勢いだ。)「俺とお前と二人きりになってもやろう。

 

そして、むちゃくちゃウケて、参加せんかった奴、悔しい思いさせちゃろうぜ。・・・・」啖呵を切ってHRを終えた私は、直ぐさま体育準備室へ。このクラスの難しさを私の側で見続け、支えてきてくれたK先生に事情を話すと、「僕は相撲部で廻ししちょったんじゃけ、ビキニパンツぐらい何でもない。」と二つ返事でOK!(また救われた!)翌朝のSHR、文化祭実行委員が私の所にやってきて、嬉しそうに、照れくさそうに、「昨日の話、みんなでやることに決まりました。あの後、みんなで話し合いました。」

 

まあ、決まりはしたものの、紙面の都合上、割愛させていただきますが、それから文化祭当日までの3週間、例に漏れずいろんなことがありました。一番心配だったのが、文化祭の前日までの3日間、出張で私が学校にいなかったこと。最後の追い込みを、この子たちだけでどこまでできるのか・・・。

 

何はともあれ、当日の幕は上がりました。あれだけ嫌がっていたNがセーラームーンの衣装を着て踊っています。ガンを飛ばしあうツッパリの男女、やがて口づけへ・・・等々。暗転したかと思うと怪しげな音楽と共にステージの正面カーテンからバニーガールのおしりがのぞいています。上手い演出。あのMです。私ですか?私とK先生の出演場面の描写は、二人ともまだ在職中ですので、ここでは勘弁してください。

 

さて、ショー(?)のエンディングは、モデル(?)総出演によるカーテンコールです。体育館中に割れんばかりの拍手。っと突然、音楽が切れ、ナレーションが始まりました。

 

「最初、この企画を先生から提案された時、本当に恥ずかしいと思いました。格好悪いと思いました。でも、私達は考えました。本当の恥ずかしさって、格好悪さって何だろうって。私達はやっと気付きました。みんなが一生懸命取り組んでいる時に、冷めて何もしないこと。これほど格好悪くって、恥ずかしいことってないって。だから、今回、私達は、思いっきり、恥ずかしくって、格好悪いことにチャレンジしてみました。さて、2年生、1年生の皆さんの眼に私達はどう映りましたか。格好悪かったですか?私達の姿に何かを感じてくれたら、来年の文化祭までその気持ちを大切に温めておいてください。」

 

それは、私の知らない、彼ら自身の言葉でした。

 

余程感極まったのでしょうか。突然、校長先生がステージに駆け上がり、女装をした男子生徒一人ひとりを抱きしめていきます。もちろん、私も。水着姿の私も・・。そんな校長先生の姿も、とても格好良く、今にして思えば、何かを生徒達に残したように思います。

 

それから数年後、その学校の野球部は夢の甲子園に出場しました。

 

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