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文部科学省研修生 竹村 和之
新しい学校に赴任してすぐにHR担任を持つ場合、それが高校3年生ともなると、既に学級の雰囲気もできあがっており、生徒たちの中に入り込むのも一苦労です。結局、最後まで自分のペースには持ち込めず、彼らのあり余ったエネルギーに振り回された1年間でした。
この夏、そんなクラスの12年ぶりの同窓会に出席しました。高校時代とかわらず、約束の時間を過ぎて、次第に集まってくるかつての生徒たちの姿を眺めていると、目一杯お洒落を決め込んできている子がいるかと思えば、仕事着のまま急いでやって来た子もいます。
同窓会が始まると、私が知らなかった事実を自慢げに次々に暴露していくかつての悪童。それをつくり笑いとともに苦々しく聞く担任の姿。同窓会によくある風景です。あれほど仲の悪かった女の子同士が笑顔で思い出話に花を咲かせています。いろんなことがあっても、全てを許せる。同じ時間を同じ場所で過ごした仲間達を結びつける思い出の力ってやつですかね。
油断していると、携帯電話で写真を隠し撮りされました。出席できなかったMさんに送るとのこと。Mさんからの返信のメールに記されたメッセージには、「先生、激太り!でも、あの頃と同じ優しい目をしてる。」在学中、人間関係のもつれで悩む彼女と何度も何度も話した記憶が甦ります。卒業式の時、ちゃんとお礼を言っていないことを彼女はずっと悔やんでいたことをその時聞きました。これも全てを美しく彩る思い出の力ってやつですか。今日は、家族旅行でやむを得ず欠席とのことです。ちゃんと幸せを手に入れたんですね。
おしぼり出したり、料理を小皿にとってくれたり、一生懸命私に気を遣うかつての悪童たちの姿は、成長した自分の姿を精一杯アピールしているようで、いじらしくもあり、在学中これくらい気をつかえよと思いつつも、頼もしく感じました。精一杯のお洒落も、仕事着のままの登場も、何歳になっても素直に表現できない、でも、がんばっている今を、成長した自分を伝えたい、そんな彼らの精一杯の自己表現のように思えてきます。
最後に連れて行かれたお店は、昔よく先生方と行ったお茶漬け屋さん。
思い出しました。12年前、彼らを送り出した卒業式の夜も最後はこのお店でした。妥協に妥協を重ね、ただ、無事に送り出すことだけで精一杯だったその時の私は、できなかったことが多かった1年間を振り返り、「この1年は、教師生活を続けていく限り、私が背負っていく汚点になるような気がする。」というようなことを言った覚えがあります。させることができなかった自分を責めると言えば聞こえはよいのですが、できなかった生徒達を責める気持ちがなかったわけではありません。その時、学年主任の先生が、静かにこう言われました。「この1年を汚点ではなく原点にせんといけんのど。」まだ、若かったその頃の私はその言葉を素直に受け止めることはできず、原点どころか、その1年を記憶の隅に追いやるのが精一杯でした。
若い頃は、自分の力で何でもできる。何でもやってやろうと力を入れてしまいがちですが、それはある意味おこがましいことかも知れません。もちろん、私がそうであったように、人は、出会いや経験により大きく成長していくものだと信じています。しかし、子どもたちは自分で成長する力を持っており、私たちは、その力を信じ、その成長をしっかり見守り、ただ支えるだけで十分なのかも知れません。学校は、彼らの成長を支える人がたくさんいる場であり、多くの出会いと経験の場に溢れている所なのですから。
12年前と同じ場所で、自分の拠って立つ場所と進むべき方向をみつけ希望に溢れる、ちょうどあの頃の私と同じ年齢になった彼らの姿を見て、そんなことを感じました。
今なら、あの頃とは少し違うスタンスで、目の前の生徒と接することができそうです。
気づくのにちょっと時間はかかりましたが、あの1年は、私の教師生活の原点です。
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