背景色を変更する
文字サイズを変更する

ここから本文

トピックパス
トップページ > 先生のページ > 教育ちょっといい話 > 現在地

平成21年 (2009年) 3月 25日

教育ちょっといい話 第18回

宇部市立楠中学校 校長 竹山 文茂

彼との約束〈1学期始業式校長式辞から1部抜粋〉

 

(前略)さて、今日は、37歳の若さで亡くなったある先生の話をしたいと思います。

 

彼は、野球部の顧問でその指導には定評があり、ある中学校では野球部を全国大会3位に導くという実績を持っていました。しかし、当時、私の勤務していた中学校の野球部は、教師に反抗的な生徒や、野球をやる気のない生徒が多くいて、だらだらとした雰囲気の部でした。

 

ところがどうでしょう。彼が監督に就任後、1ヶ月もたたないうちに、野球部は劇的に変化しました。遠くからでも私や他の先生の姿を見ると野球部の生徒はぺこりと頭を下げ大きな声であいさつをします。練習もキャプテンを中心にきびきびとしたものとなりました。短期間の間によくもまあこれだけ変わるものだと私は感心しました。彼の野球に対する愛情、野球部員に対する愛情がそうさせたのです。

 

ある時、私は、2年生の学年集会で「あいさつ」の声が小さいので、「声が小さい、やり直し」等と指導をしていました。3回ぐらいやり返しをさせていると、とても大きな声が出るようになり、満足して、「よし!」と生徒たちをほめたら、その先生が急に前に出てきて、「その程度のあいさつで良いのか」「君たちはもっとできるはずだ、一生懸命に声を出している人の陰に隠れていっそ声も出していない人はそれで良いのか」と指導し始めました。

 

子どもたちの声の大きさは、段々とすごいものとなってきました。彼は、子どもたちを育てるときその要求水準をいつも高くしていたのです。子どもたちを信じ、子どもたちを必死で指導していたのです。特にいい加減にやっていた子どもをそのまま見逃さずにきちんと育てようとしたのです。野球部が急によい方向に変化した理由がわかったような気がします。

 

そのときから、私は彼が大好きになりました。どんなに苦しいことがあっても、彼と一緒に子どもたちの教育にあたっていると勇気が湧いてきたものです。

 

その1年後、なんと彼は、脳幹出血で急死しました。通夜の晩に、亡くなった彼の家にいくと彼の卒業生も含めた教え子たちが、それこそたくさん来ていました。大声で泣いている子もたくさんいました。彼は、本当に多くの子どもたちに信頼されていたのです。

 

私は涙を必死でこらえて、彼に誓いました。「おまえの分もおれがやってやるよ!多少の困難にくじけない、明るいさわやかな生徒を育てるぞ!おまえのように子どもたちへの要求水準を高くして!」と誓いました。

 

私は楠中学校の生徒を大切に、そしてしっかりと育てたいと思います。彼との誓いを果たすためにも。

 

2,3年生の皆さんは、これまでもいろいろとがんばってきたと思いますが、さらに高いところに目標を据え、自分で自分を厳しく取り締まることができる人、常に努力し続け自分を伸ばしていける人をめざしてください。(後略)

 

一覧に戻る

ページトップ