背景色を変更する
文字サイズを変更する

ここから本文

トピックパス
トップページ > 先生のページ > 教育ちょっといい話 > 現在地

平成21年 (2009年) 3月 25日

教育ちょっといい話 第7回

元公立高等学校長 棟久 郁夫

「しっかり聞くこと」の魔法

 

私は、現在教育に関わる相談業務に従事しています。相談業務の要諦は、先ず相談者の気持ちを「深く受け止めること」「しっかり聞くこと」であるとどの専門書にも記されています。聞くだけなら私でも何とか出来るのではないか。しかし、本当に解決の糸口や判断を示さなくてもよいのだろうか。そういう思いも少し抱きながらこの仕事を引き受けました。

 

「つらい」「つらいですね」・「辞めたい」「辞めたいんですね」と相談者から白いボールが来たら、着色せずに白いボールのまま、山彦のように返すのがカウンセラーの基本です。だが40年近く携わってきた職業柄もあって、最初のうちは「確かにそうですが、その考え方はどうでしょうか」「こうも考えられるのではないでしょうか」と、どうしても話の途中で自分なりの「判断」や「方向づけ」をしてしまい、ややもすると相談者の心を閉ざしてしまうことがありました。

 

しかし経験を重ねていくうちに、「しっかり聞くこと」には時間も忍耐も要し、深い意味があることが分かってきました。仕事も2年目に入り、最近は心に多少余裕ができ、時間も気にせず「そうなんだ」「本当にそうですね」・「沈黙・・・」「本当につらいですね・・・」と、極力私見を押さえて「ひたすら聞くこと」に徹することが出来るようになりました。すると相談者との共通の土俵がどんどんと広がりはじめ、相談者との心の垣根が段々となくなりはじめてきました。そして不思議にもある段階を境に、相談者から「心の深い部分、本音」が自然と聞けるようになってきました。

 

まさに「しっかり聞くこと」から生じた一種の魔法です。それのみならず相談者によっては、本当の気持ちが吐露でき少し気持ちが楽になられたからでしょうか。それまでは学校・家庭・社会が悪いと、外にばかり向いていた気持ちの矢印を、「私にも問題があるのでしょうが」と、勿論程度の差はありますが、徐々に自分自身に向けられるケースも出てきました。そして時には、自ら解決の糸口を語り始められることに発展していく場合もあります。

 

いずれにしても「しっかり聞くこと」には、相談者の「本当の気持ち」や「心を広げる」大きな作用、魔法のような深い意味があることを、私は2年間の相談業務を通して今本当に実感しています。

 

類似した実話が、私の現職の時にもありましたので一つ紹介します。ある日のこと、高校3年生の男子生徒2名が校長室に飛び込んで来ました。「昼休みの時間に中庭でキャッチボールをしていたら、生徒指導の先生に大変ひどく叱られた。どうしても納得出来ないので校長室に来た」というのです。

 

「そこは公共の場であり、バットを振り回すと危険も伴う」と言いたかったのですが、とにかく彼らの思いをしっかり聞くことに努めました。そして「昼休みは時間が少ないのでグランドに行く時間が惜しいんだ」「安全には配慮してやっていたんだ」「さすがだね」と相づちをうちました。彼らの表情が次第に柔らかになっていきました。

 

そこで私はさらに「よし分かった。君たちの理由が私を本当に説得するものであれば、特別に許可しよう」と。2人はしばらく話し合っていましたが、彼らからは意外にも「矢張りありません。分かりました。もうやりませんから」という答えが返ってきました。

 

これも今思えば、直ぐに否定したり指示したりせずに、しっかり聞いたことから生じた魔法であったかもしれません。卒業時に彼らから「目指した大学に合格しました」という報告がありました。現職時代のさわやかな思い出の一つです。

 

「しっかり聞くこと」は、実際には「間」や「根気」が大切であり、思ったほど簡単ではありません。しかし、最近の様々な事件等を見聞するにつけ、この「しっかり聞くこと」の取り組みが、学校や家庭そして社会の様々な場面で、今一層必要になってきているという気がしてなりません。

 

一覧に戻る

ページトップ