教育ちょっといい話 第5回


人材を育てた長州藩の教育


長門市 上野 和雄 

 萩博物館には、明治時代我が国の発展に貢献した郷土の先賢32名の写真が掲げてあります。政治家や軍人はよく知られていますが、他の方々を紹介すると次のとおりです。
 鉄道の創設に尽力した井上 勝、工業・工学発展の基礎を築いた山尾庸三、東京帝国大学理学部長の五島清太郎、御所造営技監として赤坂離宮等の建築に携わった片山東熊、大審院判事 堀真五郎、気象観測の創業に従事し中央気象台長となった中村精男、警察医務を創設した山根正次、造幣局長 遠藤謹助。実業界では会社創設に尽力した藤田伝三郎、笠井順八、賀田金三郎、久原房之助。文化面では画家の松林桂月、森 寛齋、高島北海、川柳の井上剣花坊などです。小さな町でこんなに多数の人材が育ったのはなぜでしょうか。 吉田松陰はじめ多数の方々の御尽力の賜でしょうが、藩主毛利敬親と藩政の要路にいた村田清風の功績も大きかったと思います。毛利敬親は藩政改革の仕上げとして教育に力を注ぎ明倫館の改修を行いました。村田清風は蘭学者から海外事情を吸収しながら、先見性をもって富国強兵策を推進しました。1840年には青木周弼を長州藩に召し抱え蘭学の翻訳をさせました。その後明倫館の施設「好生館」で医学と洋学の研究が行われました。下級武士等のためには萩の江向に敬身堂が設けられ、藩内の各宰判勘場近くには郷学校が設置されました。井上聞多ら5名を英国に留学させたことは有名ですが、その他3回の海外派遣が行われました。長州藩内には寺子屋や私塾も多数あり、数の上では全国第2位、4位という盛況でした。当時の青少年たちは、夢をもち向学心に燃えていたことが想像されます。
 安倍晋三前内閣総理大臣は、教育改革を最重要課題として政策に掲げ努力されましたが、かつての長州人の面影を見る思いがします。
 先賢の築かれた教育の伝統が再びよみがえり、花開くことを願ってやみません。



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